理事エムです。
今年も、広島で平和記念式典が行われました。
学生の頃に教わった、原民喜の小説や峠三吉の詩が
わたしには思い出されます。俳句の季語にも、「原爆忌」があります。
雅の世界に、消そうとしても消えない季語が62年前生まれました。
はたしてこの季語はいつまで生きるのか。
この季語が消える日に、新たな危惧が生まれる気もいたします。
この時期に、聞こえない、聞こえにくい先輩たちはどう過ごされたか。
一応、戦前から東京で補聴器は販売されていましたが、一般の方には
高根の花と思われます。
何時聞こえなくなったかにもよりますが、空襲警報による避難も
家族や近所の人に助けられながらで、不安の毎日であったことでしょう。
また、聞こえなくても徴兵検査を落とされても手仕事はできることから
工場などに動員されて被爆された方もいるでしょう。
これを思うと、非戦闘員という言葉をむなしく感じます。
個人的な話で大変失礼しますが、以前ある施設を見学した時、
利用者に広島か長崎かわかりませんが被爆体験のある方がいました。
聞こえない方でした。
「爆発が起こり、気がつくと皮膚がずるむけの人が…」などと
手話でその場にいるように語られました。
別の常連さんによると、見学者や一見さんを見ると自ら語るそうです。
もうかなり前の話です。健やかにお過ごしでしょうか。
ご自身の話を語り継ぎながら、それでも不安を抱えて眠りにつくのでしょうか。
