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ブログ機能メンテナンスに伴うお知らせ

ノーマネットから以下のお知らせがありましたので、
取り急ぎ掲載します。
3月29日13時~18時までメンテナンスに伴うブログサービス停止があります。
◆ブログ機能メンテナンスのお知らせ

> この度、ブログ機能強化のためにメンテナンスを次の期間行います。
> それに伴いまして、メンテナンス期間中はブログがご利用いただけません。
> 大変急なご連絡で、誠に申し訳ございませんが、ご協力の程よろしく
> お願い申し上げます。
>
> 今回のメンテナンスにより、imgタグがご利用できるようになり、
> 文書の間に画像を挿入することができるようになります。

◆ブログサービス停止期間
>
> 平成20年3月29日(土曜)13時から18時まで
>
> 大変ご迷惑をおかけいたしまして、誠に申し訳ございませんが
> どうぞよろしくお願い申し上げます。

でっかい大根を貰って―「東京都中途失聴・難聴者の集い」参加報告―

理事長です。

第22回東京都中途失聴・難聴者の集いが去る1月12日(土)江東区文化センターであり、
関東ブロック会長を兼ね参加してきましたので報告します。
当日は小雨の降る寒い日でした。会場では多数の補聴器関連各社が展示をしていて、
一通り見て回りました。昨年の岩手大会での展示会場で、携帯会社のサービスマンに
再度お目にかかりました。
磁気誘導ループの小型補聴器は、初めて視聴しましたが両耳で聞けたので効果があり
とてもよかった。会場の参加者は例年のごとく大勢で、特に高齢の女性客が目につきました。
東京住まいの会員や、旧聴互会メンバーにも会いました。しかし、関東ブロックメンバーでは、
千葉県理事長、埼玉県会長と少なかった。
理事長の話に、歌手浜崎あゆみの話がありました。
20歳の時に聞こえに障害があったそうで7年間苦労してきたという話でした。
その後、8人による3分間スピーチ。これはユニークでした。
話者は老壮青年、要約筆記者とバランスに富み、手話教室に通い手話の学習した話、
元気のない全国青年部の中にあって、宮城、我が茨城の青年部の話、パントマイム、
社会の中の聴覚障害者、耳かけ補聴器のアクセサリーの話等いろいろな話をされていました。
司会の名倉さんの話では、この企画は理事長の発案とのことで、自ら実行委員長として
発表者に記念品を手渡されました。
メインは森本行雄氏(聴力障害者情報文化センター聴覚障害者情報提供施設所長)の
「ヘレンケラーをめぐる5つの誤解」という講演。
私が初めてヘレンケラーを知ったのは、中学の英語の時間。1、2年生のころの教科書に
サリバン先生がヘレンの家庭教師をする内容のもの。その教育の中でヘレンはどうにも
手がつけられないやんちゃ以上のことが書かれていることが記憶に残っています。
氏の話にもそのことに触れていました。来日のことは、協会活動をするようになってから
わかったのですが、3度も来日したとのこと。最後は1955年というから私は小学校5年生当時です。
ヘレンは大学まで行っているが、米国内における協会活動はしていなかったそうで、
米国政府は、30数カ国にヘレンを積極的に派遣したそうです。
海外においてヘレンの生き様を広げることがその国の障害者の福祉向上に寄与すると考えたという話でした。
ヘレンは生来盲ろうだった?手話を否定していた?などの話がありましたが、多数の本や映画化も
されているので、障害者運動を進める上では読書や鑑賞も必要だなと思った次第です。
この後、盲ろう体験があり、若い女性盲ろう者が壇上に上がり実際のコミュニケーション風景の実演が
ありました。昨年の岩手大会では盲ろう者が壇上の最後部で手を取りながら講演者の通訳風景を見ましたが、
遠くてよく見えず、目の辺りにしてみるのは初めてでした。
クイズは昼食中のため見逃しましたが、面白かったのはアトラクション。
東京農業大学による応援団の実演でした。大学の由来の説明の後、男子による応援、
ややあってチアガールの応援、ぴちぴちガールで元気がありよかった。
この企画は、実際に応援団を見てみたいという声があり、大学に依頼して実現したものだそうです。
同大といえば大根を持ってする応援、よくテレビなどで見かけましたが、
フィナーレはまさにその大根による応援歌。タイトルは「青山ほとり」と言うのだそうです。
団員は最初から最後まで皆、真剣そのもので、汗だくの実演でした。
最後に参加者による青山ほとりの応援です。それも実際に応援に使った大根を持っての実演でした。
上着を脱いで踊りしましたがその大根はお土産ということで、荷物になり、埼玉の会長に譲ろうとしたら、
押し付けられてやむなく持たされてしまいました。
昨年の集いでは、メインは歌舞伎でした。歌舞伎は始めて見るものでした。実際の実演ではなく、
歌舞伎はいろんな道具を使いますが、その道具の紹介を兼ねたものでした。今回のアトラクションの
応援団は、集いとは縁のないものと考えていましたが、会員の声を反映するのは大事なこと、
しかし、お荷物のでっかい大根には閉口しました。

突発性難聴―週刊誌報道を見て―

理事エムです。
17日は阪神大震災から13年。
早朝に見た情報ではたいしたことがないように
見えましたが、昼近くなり再度テレビを付けると
火の海の街が目に飛び込み、大変驚きました。
こちらからは新幹線で数時間の時代というのに報道の温度差を
感じました。

さて、報道といえば、歌手の浜崎あゆみさんの情報は週刊誌をにぎわしています。
いくつかセンセーショナルなタイトルがあり心を痛めています。
中には、最初に読んでしばらく何も考えられなくなった内容もあります。
閉じたばかりの傷口がひらくように、生きている間にいくつ頭を抱え、泣き出す夜を
超えればいいのでしょうか。

☆ほとんどの雑誌が、難聴の不便、早期発見、早期治療の重要さを報じています。
ロック難聴や、ヘッドホンの長期使用による難聴について触れるところもありました。

両耳難聴になることについては、恐怖心をあおるような書き方の
ものがあり、まずこれに私は不快感をおぼえました。

☆突発性難聴は、厚生労働省が指定した123の難治性疾患の一つである事に触れたものが。
これは本当。厚生労働省は、この疾患について研究班を設置しています。
難病情報センターのサイトによると、聴覚・平衡障害については以下のものが
指定されています。これは恥ずかしながら今知りました。
―メニエール病
  ―遅発性内リンパ水腫
    ―突発性難聴
     ―特発性両側性感音難聴

☆医師について。中には、症状が固まった後は無効の治療法を述べ、
あきらめずに、とのコメントも。
30年前効果のない治療を続けた身には、いまだにこんなことを言う医師が
いるのかと驚いています。
また、元「主治医」とされた人物にインタビューした社がありました。
そして、この医師はある時期の受診記録はあるがそれ以降はないという
答え方をしていたのです。
医師には患者についての守秘義務があるので、この場合は
主治医であったかどうかも含めノーコメントが正しいやり方ではないでしょうか。

☆突発性難聴を経験した芸能人について書かれたものもありましたが
本人に取材できたケースはごくわずかでした。
ここでは、あえて個人名を記しません。

☆わたしが一番憤ったのは、ある薬の副作用なのでは?とする報道です。
この薬についてサイトで調べると、正しい処方をすれば穏やかな効き目が得られるとのこと。
昔からの知り合いで、この薬を長期服用している人がいますが、
聴力検査で引っかかったことは一度もありません。
どんな薬も個人差や予期せぬ副作用は起こりうるものです。
しかし、彼女がこの薬を服用したかどうかは定かではありませんし
自分から服用を言い出さなければ、触れる必要もないことです。

☆歌手と言う職業柄、伴奏の使い方などで工夫する方法はありました。
たとえば伴奏との距離が遠いオペラ歌手に難聴は聞かれない話。
電子楽器以外を使用し、自分の耳で確かめられる音だけ聞く話。
残念ながら、突発性難聴の患者として、思いやりのある、
また前向きな気持ちになれる報道はわたしには見られませんでした。

たとえば、難聴の症状を自覚したら学校や仕事を休んで治療に専念できるような。
子育て中や自営業の人は特に、自分の体が資本だから休めないで
症状を進行させる状況なのです。そこに触れる報道はあったでしょうか。
また、歌手ではないけど難聴になったとしても
手話や要約筆記の力で徐々に自分を取り戻す人への
取材はあったでしょうか。

機関紙発送作業

理事エムです。

13日は、機関紙「常陸野」の発送作業。
宛名ラベルが不足して一部紙に印刷したものを持参。
数としては約400部送るうちのごく60部分くらいでしたが、
のりでつきにくいのでテープではる手間がありました。
いつも何人かで発送作業をしていますが、
何かしらミスはあります。
あるはずのラベルがない、ラベルと名刺の紙を間違えて
印刷したため、糊付けとなった、数が合わないなど。
午後が理事会なのに、トラブル処理のため
開始時間がかなり遅れたこともあります。
今回も午後が理事会。幸い皆さんの手際が良く1時間の
お昼休みは取れました。
最後に残ったメンバーが7人。
4人で作業したこともありますが、10時に始まり
1時に終わっています。私が関わった中で
一番の自慢はこれです。
その代わり、ほとんど会話せず猛スピードで手だけが動いて
いましたが。

成人の日を前に

理事エムです。
今年成人を迎える皆様、おめでとうございます。
正確にはあす成人式なのですが、
式典がきょう催される所も少なくないので
ごあいさつ申し上げます。

年が始まり、人生に果敢に取り組む二人の若い女性の姿を
知りました。
一人は、プロのボディボーダー、甲地由美恵(こうち・ゆみえ)さん。
2歳で聞こえなくなり、家族の愛情に恵まれて育ちました。
学校はろう学校ではなく、地域の普通校で通され、18歳で海の魅力を知り、
ボディボードの道を歩まれました。
詳細は、自著『聴こえなくても私は負けない』にあります。

お医者さんに「25歳までに完全失聴する、きこえを取り戻すためには
人工内耳手術しかない」と言われましたが、彼女は手術をせず
ボディボードの道にまい進。
当時の人工内耳手術が国内で数例しかなかったことを考慮しても、
個人的にはかなり驚きです。

わたしは、どうしても水泳がしたくてダダをこねたら
「それなら完全失聴しかない、どちらが良いかはあなたが選びなさい」
と言われ、聞こえをとりました。
医者も両親も当然聞こえを取ると予測してのことですが
7歳児にはかなり重い決断でした。

実は、甲地さんの存在を知るまで、聞こえを取るか泳ぐのを取るかなら
当然誰もが聞こえと思っていました。そして、泳ぐほうを取る人も
いることを、別の機会に知り、自分の不勉強を反省しました。

医学の進歩がどちらを取ることもすべての人類に許したとしても、
この日を忘れないでしょう。
補聴器がなく人工内耳がなく、それでも他の力で立派に人生を生きた、
大多数の先輩がいたことも、ともすれば忘れがちな自分に気づきました。

もうひとりは、今話題の浜崎あゆみさん。
当協会の掲示板でも、彼女の失聴を悲しみ、早期発見、予防を呼びかける
書き込みが相次ぎました。
わたし自身も彼女を思うと目の中に海が見えるような毎日。
代われるなら…と言ったら右耳失聴の自分ですから
両耳完全失聴になってしまうのです。馬鹿なことを考えたものです。

彼女については、わたし自身は、多くを知りません。
くぐもった声で内省的な歌詞を熱唱するように記憶しています。
それでも、7年間音やストレスに満ちた厳しい仕事をしながら
治療は続けておられた様子。若いから無茶もされたかもしれませんが、
彼女の闘病を静かにたたえたい気持ちです。
あゆ、お疲れ様。

今、彼女は仕事で海外にいるようです。
無事帰国されるよう心からお祈りします。

聞こえないということで人と比べたり劣等感に悩まされることも
多く在ります。
何かを選ぶと言うことも、限られた人生では大変です。
選択肢の多い現代、情報の多い現代では逆に色々な
ストレスも抱えることがあります。
でも…。人と比べないで、自分を大切に。
早期治療が大切ですが、難聴は気がつきにくい障害。
もしも早く気づけなくても、過去の自分を責めないで。
聞こえなくても聞こえにくくても自然に、気持ちを楽に生きられる
世の中でありますように。
明日を生きる若い人が自然に歩める
そういう世の中を支えていける大人になりたい…と
成人式を過ぎた私は思うのです。

今年の10大ニュース

理事エムです。

2007年、平成19年。今年もいよいよあと1日です。

あらゆる方面において、信用していたものが揺らぐ事件が多くおきました。
政治の世界のあらゆる疑惑。大臣が何回も代わった省もありましたね。
法律を無視した偽装が30年も前から行われていた会社がありました。
そういえば、評判の割にまずかった有名メーカーの商品。
ああ、やっぱりそうだったのかというものも、個人的にあります。
こうした問題が、各マスコミの10大ニュースに散りばめられています。

さて、わたしにとっての10大ニュース。
大きく変わった1年ではありませんでしたが…。
自分の中の1位はこれです。
「なんだ、こんなこと」と笑う方もいるでしょう。
それは…。

お恥ずかしいです。
補聴器などが見えていても、自由自在な髪型が自然にできるたくさんの親子に出会ったことです。

11月に、聞こえない子供たちの集まりに参加する機会がありました。
準備を済ませ、遊びかたがた子どもたちが一人、二人と集まり、あちらでパパとボール遊び、
あちらでは組んずほぐれつ子供同士でじゃれあう…という風にイベント開始を待っていました。
おい、君補聴器大丈夫?そこは慣れているのでしょう。子供は遊びの王様。

女の子もけっこういますね。…え?
この子はポニーテール。
この子は三つ編みのお下げ髪。
ああ、結構凝った編み込みの子も。
これは自分も聞こえていた頃やったことがないなあ。
皆、補聴器や人工内耳の装用具が見えてるじゃない…。

わたしも、あんな髪型にしたかったのに。

ああ、困ったな。ここでなんで目がうるむんだろう。
立っているのもつらいよ。
だめだめ、しっかりしなさい、もう私は大人なんだから…。

失礼しました。子供たちとは結局、楽しく遊んできました。
問題なく聞こえていた時期と、好きな髪型を楽しむことができた時期は
同じです。5歳まででした。
小学校卒業までは、鼓膜に穴が開いていて手術もためらわれる状態だったため、
髪を洗うのは週に1度、しかも洗髪は必ず家族の手で行われました。
そんなに大きくなっても家族が神経質にしていたのは、中耳炎の再発が怖かったからです。
そんなわけで、定番の髪型はおかっぱで段を入れる際には、必ず耳が隠れるようにしていました。
髪を伸ばせるようになったのは、高校に入り、鼓膜が成長にしたがってふさがったことが
確認されてからです。
学校に行く前に母が髪の一部を三つ編みにしたり編み込みを入れたりしてくれました。

それも、母にとって耳が見えないようにするのが必須でした。
今でも、母と外食する時は補聴器を着けている側が何とか隠れるように座らされます。
また、外出時は絶対髪を縛りません。

耳を自然に出したまま色々な髪型をした子供達を前に、激しく動揺した自分に驚いています。
小学生の私が、彼女たちを見ていたら確実にひっくり返って泣き出していたでしょう。
その時期にしか出来ない、その時期しか似合わない髪型があります。
また、やわらかいしなやかな髪を、落ち着かない子供をなだめながら好きな型に
編んでいく母親の喜びも、その時ならではの格別なものでしょう。
その機会を、難聴という一つの理由で親子ともども奪われた時間の流れにも驚きます。

これまで女性は補聴器や人工内耳を装用しているのを隠したがる、
女の子の親はなおさらという風に思い込み、要約筆記の講師をする際も
そう教えてきました。
それがこの機会に覆されたのは自分にとって驚きでしたが、いつかは
知らなければならないことで、時機にかなったものであったと思います。

もちろん、病気で髪型に厳しい制限を課せられる子供たちは、なおいます。
これからを生きる子供たちには、好きな髪型にできることが、
どれだけ自由で幸せであるか、いつかは気づいてほしい。
その髪型で自然に振る舞えるようにしてくれる親御さんたちを、暖かい目で見守りたい。

よいお年を。

読話講習会

理事エムです。
12月の大きな行事は、18日にありました。
県日曜教室読話講習会と当協会主催の忘年会です。

読話講習会は、コミュニケーション部あげて
手際よく準備をすすめていました。
当日は、読話塾講師・桜井武志先生の生徒さんも
何人か見えていました。
レッスンは口形に始まり花の名前、おでんの具などの単語、
二語文、長めの文と進んでいきました。

参加された方、それぞれ感想がおありでしょう。
わたしが感じたのは、何に関連するか、前後関係はどんなか
事前に知らなければ話を読み間違えやすいということです。
たとえば、たばこを吸うしぐさをしながらならたいてい
「タバコ」のことで、「タマゴ」や「ナマコ」にならないでしょう。
また、おでんのはあまり入れたことのない具の名前は
読み取れないでしょう。

また、講義にも出ましたが口形には地域性があります。
今でも苦手ですが、子供の頃は、「つ」の発音を
何度も練習しました。
東京の言語聴覚士が「つ」の口形を「u」で教えても、
県西出身の幼稚園の担任は「i」の口形で教えるため
混乱した覚えがあります。
結局、今はどちらも使っています。
ここで言いたいのは「標準語」の口形で教えるべきという
ことではありません。
専門家ではないので「これが正しい」とは言えませんが、
個人的には、大人子供に限らず、自分の住む地域で話が通じやすい
方法でいいのではないかと思います。
私の両親は茨城の出身ではありません。
住んでいた地区は色々な地方の出身からの集まりで、
細かい口形についてガタガタ言う人はいず、とにかく相手の言いたいことが
大方伝わればOKと、あいまいなまま育ちました。

この講習では相手を良く見て何を言いたいか把握することの
難しさ、大切さを改めて学びました。
音に頼れない分、相手を良く見る。口の形ばかりでなく、
表情や前後の話の流れも良く見る。
毎日聴者ばかりの世界にいます。ともすれば
補聴器から聞こえる音ばかり頼って、果たしてわたしは
相手を見ているだろうか。反省しました。

二つの日曜教室

理事エムです。

11月は、協会として関わる大きな行事が二つありました。
どちらも日曜教室。どちらも準備にてんやわんや。
当日はドタバタの連続。

11月11日は水戸・やすらぎで、NHK水戸放送局から講師をお招きして
地上デジタル放送についての講演会。
例によって掲示板、HPに記事掲載のほか、
やすらぎ新聞、常陸野にも記事掲載予定があります。
詳細はそちらにゆずります。
当日は、移動途中に突然司会を頼まれ、やすらぎで原稿の読みあわせを
しました。主催が当協会ではなくて県のため、やすらぎ職員と
さらに打ち合わせの必要が生じ、開始5分前まで原稿の手直しを
しました。情報保障がPCだったため、観衆にわからないように
きれいに手直しできました。
終了後、みぞれと見まごうような大粒の雨に打たれ
(もちろん、車です。)帰路に着きました。

11月18日は、土浦・ウララで人工内耳相談会、中途失聴・難聴
困りごと相談会。
こちらも、人手不足と他地域で重なる行事などもあいまって
忙しい一日でした。
私は「困りごと相談会」の企画と司会を担当。
ここで、自分の見識の狭さと、企画の難しさを痛感しました。
「困りごと相談会」の企画自体は、機関紙『常陸野』で
耳鼻咽喉科アンケートを行った時に必要性を説く
回答者が何人かいました。
当日は会員外では、13時からの人工内耳相談会に集まった方が多く、
何とか聞こえるようになりたいという気持ちでいらしたのではと
思います。先生と業者さんの講演、体験談、
質疑応答と盛りだくさんの内容で、もうこれだけで充分企画を見たという
感じが、写真撮影をする私にもしました。

対する15時からの相談会は2時間に及び、
11月の17時は真っ暗。
私も何もなく家にいれば、夕食準備の時間でもあります。
企画全体から見ると、参加者の集中できる時間は16時までが
限度だったように思います。
有名な講師がいるわけででもなく、会場は一部の後片付け、
二部の準備でバタバタしていてうまく人工内耳や補聴器の
個別相談コーナーにご案内できなかったように思います。
開始後は、思いもしなかったグループでの話し合いの時間大幅
オーバー。16時のはずがどこまでも続き、終わるかのように見えたら
別の人が話し始めるという場面も。
帰宅しようとする田淵先生の姿やブースの空いた
補聴器店を見て、ここに参加者を巻き込もうと急遽決めました。
先生も、理事だけより皆に拍手で見送られたほうが気持ちいいだろう。
補聴器店は、せっかくのお休みなのに仕事がほとんどなかった。
ブースで待たせるくらいならこちらから話し合いに引っ張ってみよう。
そうしたら、先生からご丁寧な謝辞をいただくうれしいハプニング。
補聴器店は、栗原医療器械店様は終了ぎりぎりまで参加者からの相談に
のってくださり、オオヤマ補聴器様を会場に引っ張ったら、質疑応答が
盛り上がり、後は時間と勝負しながら全体発表に入りました。

オニの司会は、きっかりOHPも17時で締めました。
そんなわけですみません。グループで何が話し合われたか、
全く頭にないのです。
参加の皆様には大変ご迷惑おかけしました。
企画準備にあたっては、当日不参加の方も色々アドバイスいただき
大変ありがたいです。

全難聴全国大会 in 盛岡番外編

理事エムです。

10月20日~21日は、岩手・盛岡の全難聴全国福祉大会に
参加しました。
茨城からは4名の参加。
事業計画時の行き違いでコミ講習と重なり、
地域の行事も重なったため、
参加できない人もかなり出てしまいました。

盛岡は、8年ぶりくらいでしょうか。
帰りに市内循環バスでめぐりましたが、遅くまでやっている
店も多くなり、観光にも買い物にもいい場所棚という印象でした。

会場となった「アイーナ」は、図書館や国際交流センターなどが
入った複合施設。
この中に、岩手県の聴覚障害者関係の協会事務所が複数
入っています。
盛岡駅から近いから、うらやましい。
ともかく「やすらぎ」は慣れない人にはとても遠い。
わがNPO茨難聴の場合は、理事のかなりが県南在住。
せめて土浦やつくばの駅近くに、聴覚障害者情報提供施設が
あれば…。もちろん、水戸でも駅近くなら高齢者や重複障害者でも
一人で足を伸ばせますよね。

参加報告は、NPO茨難聴HPや掲示板にもあります。
HPは、写真を10枚余貼り付け、第4分科会報告まで
つける一つの長ーい「作品」になってしまいました。

作る過程で、いくつか別の協会のHPやブログを
見ました。HP更新のやり方も覚え始めなので、
なかなか(理事同報でせかされる?まで)
気持ちのエンジンがかからなかったのです。
函館や青森の協会の管理人さんには
大変お世話になりました。
函館の管理人さんになまはげはじめいくつか写真を差し上げたら、
喜ばれて良かったなと思います。
青森の管理人さんには、こちらにないつなぎ温泉懇親会の写真を
いただきました。
記事の掲載の際、これまでもいくつかの団体さんや個人に
確認をとってきましたが、こういう交流も楽しいものです。

東北は、長い冬に入りました。
雪や寒さに耐えながら、東北ブロックの皆さんは
残務整理をされているのでしょうか。

9月の行事

理事エムです。
ブログはこのところ全く触っていませんでした。
このところ協会の理事として参加した行事について、
つらつらと書いてみます。

9月29日東京・戸山サンライズにて
全難聴主催コンペ「“聞こえ”の啓発力を競う ~身につけよう 表現力~」
掲示板にも広報部名で記事を掲載しました。

茨城の発表では、実際の交通事故体験をもとにした寸劇を熱演。
二つの役を演じました。
一つは車対車の衝突事故での加害者役。
幸い、被害者役が「いい人」という設定で、筆談に応じてくれるものでした。
もう一組の被害者役が「たちの悪い人」のところは、かなりオーバーな
演技だったので、吹き出していたかも知れないのでそういう意味では…。
もう一つは、事故現場に駆けつけるノートテイカー役。
シナリオでは「サングラスをかけた」役だったのですが、
日差しの強い場所や、目の保護のため自主的にかける以外は
まず聞かないので、小道具から外しました。

終了後の懇親会では、自分の現居住地の協会員の方はじめ、
色々な方とお話しました。
ある県の会長さんからは、協会運営の様々な悩みを聞きました。
若い頃から会長で長いのだけれど後任がいない。
高齢化ばかりが進み、若い会員が入ってこない。
事務局にしても、住所が自宅にあるため、各地域の会報が
郵送されても、置く施設がないので結局自分ひとりが見て終わる。
大変もったいない…。

全難聴の要約筆記部長とも少し話し、励ましをいただきました。
「女性には華がある。頑張って!!」
いんや、あたくしには華はない。頑張るより、
その日その日を何とか暮らしておりますーるー。

寸劇の交通事故の話に戻ります。
あれから2ヶ月経ち、振り返って思うのは、
実際被害者が筆談に応じてくれるのだろうか。
事故の軽い重いとは別に、お互い動揺が激しい場合は、
頼むのも受けるのも無理です。
相手が歩行や自転車の場合、今の法律では
被害者が100%車だとしても、不利のようです。
「謝ったほうが負け」と言われるとおりです。
また、ノートテイカー自身が免許を持っていて
事故についての知識がないと、通訳がかなり難しいのでは?
警察も、ゆっくり聴取するわけではなく
目撃者なしだと、果たしてどこまで事実に迫れるか。
(あえて、どれだけ自分に有利かと言わないでおきましょう。
相手にも、かけがえのない家族や将来がありますし)

私自身は車の免許を持っていませんが、身内や友達が
何度も事故に遭っています。
最近も、身内の車が自転車に突っ込まれました。
相手は今のところ「かすり傷」で済んでいるようです。
身内にもけがはない。ただし、車は修理に出さなければ。
どうも車が全面的に「加害者」。
目撃者は一人で、その人だけが車は悪くない、と言ってくれています。

今だったら、この寸劇はシナリオどおりに演じられたか。
シナリオが悪いのではなく、自分の今の動揺をうつして、
振り返ってしまう状況です。